LARS RECORDS

腰を据えて音楽を

plentyの解散に寄せて

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2017年9月16日(土)、plentyが解散してしまった。

僕は運良くチケットを手に入れることができたので、日比谷野音に彼等の最後を見届けに行ってきた。

指定席・立ち見席共にソールドしていた会場の雰囲気は、9月中旬とは思えない気温と、すぐそこまで近づいてきていた台風の影響も合間って、やはり普段のライブとは異なっているように感じた。三千人規模の群衆にも関わらず、妙な静けさがあったと思う。

演奏が始まってからは、とにかくひたすらに曲を重ねていた。Vo.江沼くんが「時間の許す限り曲をやります」と短く言っていた通り、MCもほとんど挟まずにただひたすらと。「ファンと、それから音楽に対してすごく真摯だな、いいな」とそう思った。

この日改めて感じたのだけれど、plentyは曲がいい。楽曲の構成は基本的にシンプルだし、演奏も所謂「技巧派」のようなものを取り入れている訳でもない。彼等の肝はやはりメロディーだと思う。とっつき易いようで棘があるし、ひんやりしているのに暖かさがある。静と動、陰と陽がある楽曲が魅力的なように、二面性を兼ね揃えられた音楽には強さがある。シンプルな楽曲構成や演奏も「曲の良さを極限まで引き出そうとした結果」だと捉えれば合点がいくし。

ラストナンバーは「蒼き日々」。plentyの良さを全部詰め込んだような躍動感に溢れる美しい曲。この曲でplentyが終わってしまうと分かっていたから、やっぱり予想通りに涙が出た。音楽は有限だからこそ素敵なのだと思うけれど、このままこのアウトロがずっと続けばいいのになと思わずには居られなかったし、江沼くんが笑うように歌っていて、余計に寂しさが込み上げてきた。本当に美しいフィナーレだったと思う。

よく考えてみると、好きなバンドの解散はplentyが初めてだった。好きなバンドっていうのは、新作の情報をチェックしたり、CDやレコードを買ったり、ライブに足を運んだりと、対象に向かって自分から動けるバンドのこと。「バンドの解散」はTwitterのTLで日々目撃する。だけど、所詮目にするだけ。好きでもないから「解散かー、残念だー」くらいにしか思わない。だけど、好きなバンドの解散がこんなにしんどいとは思わなかった。帰りの電車の中で「もうライブが見れない、新しい曲が聴けない」っていうことに気付いたときに、解散の重みを知った。家に帰ってからも、とにかく心がしんどい。今日でライブから3日経ったけど、ふと我に帰ったとき頭の中でplentyの曲が流れてる。それで気付いた、自分で思っているよりもずっと、俺はplentyが好きなのだと。それでもっと悲しくなる。書けば整理がつくかと思ってこれを書いているけど、どうなることか。

バンドは生き物だと言われる事がある。本当にその通りだ。バンドの命には必ず終わりがあって、でもそれがいつ来るのかは、きっと当のメンバー達にも分からない。「次のツアーで見ればいいや」、そう思ってしまったが故に、二度と見ることができなくなるかもしれない。少し重苦しいかもしれないけれど、僕たちリスナーもバンドに対して、「これで最後になってもいいように」と真摯に向き合うことが必要なのかもしれないと思った。

江沼くんの「さようなら!」が耳に残ってる。

さようならplenty、ありがとう。

 


plenty「蒼き日々」from plenty 2015年 秋 ワンマンライブ 15.10.31 日比谷野外大音楽堂